有機体的世界観


20歳の頃から時間が経つのが遅いと感じているのですが、この1週間も割と長い時間に感じました。
大抵の方は歳を重ねるに従い時間が早く流れると言われるのですが、そういう意味では私はちょっと歳の重ね方が人と違うのかもしれません。

先日5年ぶりの更新をした際には、4月第1週の手帳はほとんど白紙だったのですが、振り返れば色々と考えさせられること、そして得ることの多い1週間でした。
思い返せば年明け早々に日吉大社で御神籤を引いた頃(というのがとても前に感じますが)から、今年はぐっと堪えてここ10年間の総括にしようと決意したのですが、そこから次男1歳の誕生日があり、妻と私の誕生日があり*1、そして割と精神的に大きな出来事もありました。
三十数年生きてきて、自分の後輩を見送るなんて考えてもみなかったのですが、これも何かの機縁なのだろうと思います。その前後から考えていたこと、出会ってきた人のことに思いを巡らす、本当に大きな機会になりました。
そしてこれは良くも悪くも私の性格というか、やはり有機的に物事を捉えて繋げていくことしかできないと思っているのですが*2、こういう出来事に出逢うとその思いを強くします。
 
少し話が前に飛びますが、私が今の会社に「異動」した*3のが、東日本大震災の1ケ月半ほど前のことでした。同年9月に結婚を控えていた私にとって、とても複雑な心境だったのを、今振り返ってもとても鮮明に覚えていますが、実はこの結婚式の日は、今では震災の影に隠れてしまった豪雨災害が紀伊半島を襲った日でもあります。1年半後、熊野三山を中心にした小旅行をしましたが、傷痕なんて言葉では足りないほどの惨状で、山も河もその姿が豪雨の前どうであったか、想像もできない有り様でした。
 
有機的という話に戻りますと…この2011年という、日本にとって深く刻まれてしまった年に聞いた音楽が、この3月に私に起きた出来事にとっても、とても意味深いものに感じたのですね。それが、前回の追伸に記した熊木杏里の『and...Life』でした。この冒頭に収録されている『Hello Goodbye & Hello』という曲こそ、私やその周りでこの出来事を受け止め切れなかった皆さんに必要なのじゃないか、と。
この曲は震災直前に封切りが発表されていた、新海誠監督『星を追う子ども』の主題歌として書かれたものです。映画をほとんど見ない私は当時、この映画をリアルタイムでは見ていないのですが、今回のことがあって何故か思いだされたこの曲を改めて聴き、そしてそれが映画と分かち難いことを今更ながらに知って、先週末初めて見ることとなりました。
震災と無関係に作られた映画とその主題歌が、こんなにも震災後の世界にとって意味深いものであることに驚くばかりで、当時この映画と音楽に救われた方がとても多かったのではないかと思います。長野県出身の新海誠熊木杏里が紡ぐ美しい描写と、それに反して異常なテンポで進む不条理なストーリーを、私は不思議というよりはむしろとても自然な気持で見ました。
自然に見られた理由には、世界で起きている出来事とそれを受け止める人間との間にある埋め難いギャップなのではないか、と感じたことがあります。人智で計ることなど到底できない世界があって、それは天変地異のような大きな出来事であろうが、身近な人の生死であろうが同じなのだと。また悦ぶべき事柄であろうが、哀しむべき事柄であろうが同じなのだと…こんな当たり前のことが、繰り返しの日常の中ではつい忘れられがちです。「時の流れなどない、ただ人間の心が流れているだけだ」と聞いたことがありますが、まさにその通りで、結局きっちりと日々の出来事に“Hello”や”“Goodbye”ができているかどうかなのです。

時計を前に進めるために、今できることを、と思いを新たにしています。日常を急に変えても歯車は噛み合いませんが、気持ちを変えることで世界は違ってくるはずです。前回の覚書に少し加筆し、前述の『星を追う子ども』ともう一つ、新たに手元に置いて繰り返し聴いている音楽があるので、これを記して今日の更新と致します。
私が稀代の雨男だということは有機的に繋がりますでしょうか(笑)

<最近聴いている音楽>
・『Change your mind』雨のパレード

*1:女性の本厄にあたるので、厄除けもいきました。
吉田神社http://www.yoshidajinja.com/

*2:有機的世界観」を卒業論文の題材にしたのも遠い昔のことのようです。
諮問の際には「良くできたブックレポート」と卒論として惨憺たる評価を賜りました(笑)
『科学と近代世界』アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドhttp://shoraisha.com/main/book/9784879840141.html

*3:前職の会社代表からは「出向」と言われましたっけ…いずれにせよ、普通の所謂「転職」とは少し違う形での「異動」であったのだと、捉えて今は働いています。