退屈でもないけれど…

アルバイトが不採用だったので、相変わらず家にいることが多い私です(^^;いや、引きこもっているというわけでは無いですし、それなりにすることもあるので、退屈でもないのですが、ひとりでいると考えごとが多くなります。
思ったことを徒然と書いてみると何か変わることもあるかな、と思って、日記というか独り言みたいなものを書いてみます…戯言ばかりになったらすいません(^^;
最近思っていることは…人と人とのことが一番でしょうか。大学に入って、サークルに入って、ビーバースカウトの手伝いをするようになって、この日記を書くようになって、同窓会の幹事をしてみて…ここ1年くらいだけでも、人とのつながりを意識することがかなり増えたように思います。もちろんそのつながりには、かなり弱い社会的ものから、相当強い個人的なものまであって…でも、どれも少なからぬ影響を私に与え、私も相手に影響を与えているわけで、大事(平易な言葉ですが、かなり強い意味で使っています)にしていきたいなぁ、という思いが自分の中ではとても強いんです。及ぼしあっている影響には、良いものも悪いものもあります。でも、今の自分を作ってきたのは間違いなく周囲の環境、そして人ですよね。「一期一会」だなんて、身に沁みて生きている人はそういないと思いますが、良い意味以外も含めればたしかにその通りだと思いませんか。生まれ持ったものというのもあるかもしれないけれど、今までの経験から言って、後天的なもののほうが性格の大勢を占めているというのは、けっこう当たっているんじゃないかな、と。「不遇な環境で育った素敵な人、その逆もまたいるじゃないか」と言われるかもしれませんが、それはきっと環境というものの範囲を限定しているからであって、本当にその人が受けてきた影響を全て加味することが出来れば、それこそ前述のことが演繹されると思っています…もちろんそんなことは不可能ですし、経験から言っているだけなので、論理の裏打ちには欠けますが。
で、そういうことを考えるようになって、「人には優しく接したい」という気持ちが起こってくるのは当然ですよね。一緒に遊ぶ友だちから、インターネットで出会う人まで、多かれ少なかれ影響を及ぼしあっているわけで、例えば私が楽しそうにいることで相手も私といる間楽しくなる、といった小さな影響だって良いでしょう。相手が楽しくなったことで他の人や私もまた楽しくなる、なんて影響を及ぼしあえれば…もう小さなことでは無いでしょう。ある人に「貴方が幸せになることが、私の幸せの一部です」ということを言われたことがあります。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、人と人とがつながっている限り、人に与えた影響はその周囲、ひいては自分にも回っていく、ということはあるんじゃないでしょうか。人を傷つけることなんて馬鹿げていませんか。それだってきっと、ずっと回っていくのですから。自分に返ってくるとまでいかなくても、周りが傷ついていくことを喜ぶ人はいないでしょう。
動機は何であれ(「自分のために」でも良いでしょう)、人に優しくしていける人が増えたらなぁ、と思います。簡単なことではないですが、それが回りまわっていけば悪くないですよね。浜崎あゆみの「AUDIENCE」はそんなことを歌っているのかな、と今になって思ったりしています。
どこかで「幸福の連鎖」という言葉を聞いたことがあります。言った人の真意は分かりませんが、単なる理想では無いように思います。