里山

昨日行った里山のことを少し詳しく。
書いていたように、最近になって里山としての形になったという、特殊な土地です。私の通っている大学は3つのキャンパスを持っているのですが、その1つが滋賀県の瀬田にあります。もう20年以上前に造成され始めたそうで、元は(今もですが)完全に山の中だったところです。で、その当初グラウンドを作る予定の土地があったそうなのですが、そこにオオタカが生息しているなど、貴重な自然が残っているということで、山として留めてあったのを、最近になって里山として手を入れなおした、とこういう背景を持っています。
「日本の自然」という授業の補講で行ったわけですが、友だちも一緒でした。2人と一緒だったのですが、2人ともいわゆる「潜り」で、正規に授業を取っているのは私だけです(笑)クリスマスの補講にわざわざ潜るというのは、狂気の沙汰といっても過言ではないように思いますが、私もこれが無かったら暇だったわけで、人のことは言えないかも(^^;
京都で集まり、昼を一緒に食べてからJRで向かいました。キャンパス間をつなぐ無料バスもあったのですが、満席になった時点でもう乗せないことになっているそうで、やめておきました…補講に来ている人の人数からいって、全然問題なく乗れたと思いますが(笑)集合時間に集まった人は…20くらいでしょうか。遅刻も1人だけでした(クラスの人ですが・笑)まぁ、クリスマスに、しかもいつもと違うキャンパスで授業というのでは、それほど人が集まるわけもないのですが。でも、授業の内容を考えるとこれくらいの人数でよかったと思います。山の中でそう小さく集まることはできませんし、先生の声にしたってもちろんマイク無しですから、あまり大人数では…それに、わざわざこんな状況の中で来た人たちだけあって、いつもの授業と比べてみんな真面目に聴いていたように思います。
集合して最初は、上に書いたようなこの土地の概要、日本の山林の一般的な成り立ちといったことを説明され、少しずつキャンパス内を移動していきます。山を残したといっても、キャンパスはそれ以外にも広大な土地を使って造成されたわけで、その周縁部は造成による傷跡の見本のような状態にあります。幸い(?)日本ではアカマツなどの種が、こういった裸地に根付くことで、森林は早々から形づくられるそうですが、もちろんもとの多様な自然には簡単に戻りませんし、ましてキャンパスのある土地などはもちろん森に戻ることはありません。私の住んでいる町も同じような背景がある土地だったわけで、人ごとでなく、これからこういうことが繰り返されることの是非は問われるべきなのだと思います。
山に入ると、懐かしいというか、家の周りにも似たところはあるのですが、やっぱりいい気持ちがするものです。ボーイスカウトで歩いたことなんかも思い出しました…たいがい、そのころはバテてばっかりで景色なんか見ていられませんでしたね。そういうしんどかった思い出も出てきますが(笑)、改めて景色を見てみると、こういう自然の複雑さというものには驚かされます。これだけ複雑な自然に対して人の知っていることというのは到底及ばないというか、畏敬の念ともいえるような感情がありました。
しかし、そんな自然の一部を人はとても上手く利用してきました。その典型がつまり里山です。山の動物、きのこ、建築のための材から、木の皮、落ち葉にいたるまで、里山は隅々まで使われてきたわけですが、それだけに留まらず、この利用は循環していたというのが、授業で大きく取り上げられたことの1つでした。その土地で取れたものをその土地で消費する、「地産地消」という考え方が現在取り上げられつつありますが、里山は大昔からそれを体現していたというわけです。山を保全するための間伐や下草刈り、そこで出た材を燃料や堆肥として、土地へ返していく…この大きな流れだけでも、とても面白く、またよく出来たサイクルだと思います。
しかし、里山を見直すというのは、昔の生き方に帰ろうというような懐古主義ではないと思います。それはとても非現実的ですし、研究されている方にしたってそれは不可能でしょう。そうではなく、今の社会の中にこういうシステムを使っていけないか、それが重要になってくるのだと思います。
だんだん読んでいても退屈するような文になってきたように思いますが(笑)、最後に1つ思っていることを。こういう小難しいことを抜きにしても、里山に行ってみるのはとても面白いことです。あの中にいるだけでも、何か感じるものは少なからずあると思います。今回行った里山に勝手に入れるかは分かりませんが、うちの近くにも似たような環境は多くありますし、面白そうと思った方はぜひ遊びに行ってみてください。場所は紹介します…何なら一緒に行きましょう(笑)