靴磨きと姿勢についての備忘録

こんなに多くの出来事に見舞われると、心にどうしても波が立つのだなぁ、と思います。
いつもお世話になっている梅田の靴職人にお会いして、自分の仕事を確立している方でも、こうした不測の事態*1に少しお疲れのようで、一人で食事するのが好きなはずなのに、お誘いいただいてご一緒した次第です。


きっとどんな人間だってキャッチボールできる相手がいないと、塞いでしまうのだなぁ、というのは、少し変なまとめ方ですが、そうとしか言えない。
今回はごく簡単に靴を診てもらっただけですが、半年以上前にした大掛かりなリペアと現況を比較して、歩き方のヒントまでもらえるのは、やはり彼がプロフェッショナルなのだからだと思います。
彼の言葉を借りるなら、対峙する相手のより良い生活のために自分の技術や知識で出来ることを精一杯提供する、ということですね。
自分の今後の歩き方を教えてもらった夜でした。

*1:大阪を襲った台風の傷痕は、梅田界隈でも凄まじいものでした

21号

本日は台風21号の襲来で午後から自宅におりました。
こんなに暴風を経験したことはない、という台詞が今後また出てこないといいなぁ、というのが今思う正直なところです。
はてなダイアリーを綴り始めた実家がある「山の上*1」は道が寸断され、未だ停電しております。風化しつつある花崗岩の土壌ゆえ、ここ数年は毎年のように土砂崩れで通行止めになる山中越えですが、今回は障害物により文字通り通れないようで、一刻も早い復旧を祈るばかりです。


今これを書いている「山の上」は大阪北部の市内では少し小高いという程度の場所ですが、普段から風の通り道であることもあり、今回はまさに経験したことのない雨風でして、ダイニングの角を占める窓ガラスが大破致しました。
午後から自宅にて待機し、距離が離れたリビングに家族が固まっていたおかげで(不穏な空気に敏感な長男が少し前から大分怖がっていたので、それも功を奏しました)全く怪我もなく、同市内の数ヶ所で起きている停電にもならなかったため、割れたガラスの掃除程度で済んだのは本当に運がよかったと思います。


「緩やかな繋がり」という構想についての走り書きを記しておきます。
いつか卒業論文の話で書いたホワイトヘッドの「抱握」という概念*2にも通ずると思い、社会人になった頃から温めてきたことです。
各々の立つ地平から見える視界を、互いに共有しつつ、得意な役割を担うことで、非力で偏った人間でも活躍できることはあるのではないか、否できるに違いない、と今では思います。
スコッチの「Black & White」と、「Blackberry KEY One」を傍らに、雨のパレードの『Reason of Black Color』を聴きながら、サービス終了間近のはてなダイアリーを今更マメに更新する私だからこそ、そしてそんな私を認めてくださる皆様方と一緒だからこそ、他には無い目線で、他には無いあり方で、どこにいても安心できないこの時代でも、揺蕩うようにしなやかにそして緩やかに進んで行けるだろうと。


酔っ払いの戯言かもしれないけれど、パレードどころではなかった雨上がりに、Tr.9の『You & I*3』をCDで聴いて、こんなフォーマットにしか付いてこない歌詞カードは、同名の名曲がTr.3に収録されているthe brilliant greenの1st Albumと同じく、机上で拡げにくい1枚物が黒地に白抜きだったりして、雨男の私としてこれこそ因縁なのだろうと思っています。
このところ読んでいるフランク・コンロイの『マンハッタン物語』から確信に変わったことなのですが、音楽ってどこまで行ってもグルーブだろうと思っていて、それは上述のバンドサウンドはもちろん、ジャズにもクラシックにも当てはまり、拡げて言うなら人の心を動かすのが人の奏でる揺らぎや響きなのだとしたら、それは音楽だけじゃなく会話にだって言えることなのですよね。
Tr.14の『MARCH*4』をある友人への餞にしたのはつい半年前でしたが、半年の長さをまたもや痛感することになりました。


ここに記したことがきっと先の自分にとって誇りになる、そんな予感を胸にして、相変わらず長いこのダイアリーの括りにします。
一歩一歩足跡を残しながら、今日より明日が良い日でありますように。
平和な日々になりますように。

*1:ダイアリーのPC版トップに「はてなキーワード」を置いております。

*2:2017年4月9日アップロード「有機体的世界観」
http://d.hatena.ne.jp/kenken321/20170409

*3:MVも素晴らしいのでyoutubeでご覧ください。
https://youtu.be/FD6IjvCDUac

*4:こちらもMVがyoutubeにあります。
https://youtu.be/hgCDsL7aYQg

新年の抱負ならぬ今年度の第四四半期に向けての覚書



新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
去年は当たり前にしていた新年の挨拶も、今年は少し重みを持つようになりました。「何でもない」すなわち「何事もない」昨年を過ごせたからこそ言える挨拶なのだと思います。
おかげ様で無事平穏に過ごせた有り難さとともに、多くの人々と色んな出来事に出逢ったことの有り難さが印象深い、とても有意義な1年でありました。ここから年度末までの3ヶ月間、これまでしてきたことを敢えてこれまで通りにしてみたいと、自信の無い人間にも思えるだけの内容があったように思います。足を延ばせば延ばしただけの成果が得られるのだと、これから先の長い道のりに対して勇気をもらえる出逢いをいただいたことに感謝しながら、まずは年度末までやり尽くして、そこから何が見えるのか楽しみです。




追伸
聴いている音楽を挙げると心境の変化が表れているかもしれません。ジャンル(というもの自体、今の音楽にそぐわないかもしれませんね)を越えてこんな音楽まで聴くことになるとは自分自身意外でしたが、とても楽しんで聴いています。


・『KiLLER BiSH』BiSH
・『THE GUERRiLLER BiSH』BiSH
・『身から出た唄』竹澤汀
・『(p)review』竹澤汀
・『ドラマチック』クラムボン(10年以上前にMD(!)にダビングして持っていたものをユニオンディスクで購入)

有機体的世界観


20歳の頃から時間が経つのが遅いと感じているのですが、この1週間も割と長い時間に感じました。
大抵の方は歳を重ねるに従い時間が早く流れると言われるのですが、そういう意味では私はちょっと歳の重ね方が人と違うのかもしれません。

先日5年ぶりの更新をした際には、4月第1週の手帳はほとんど白紙だったのですが、振り返れば色々と考えさせられること、そして得ることの多い1週間でした。
思い返せば年明け早々に日吉大社で御神籤を引いた頃(というのがとても前に感じますが)から、今年はぐっと堪えてここ10年間の総括にしようと決意したのですが、そこから次男1歳の誕生日があり、妻と私の誕生日があり*1、そして割と精神的に大きな出来事もありました。
三十数年生きてきて、自分の後輩を見送るなんて考えてもみなかったのですが、これも何かの機縁なのだろうと思います。その前後から考えていたこと、出会ってきた人のことに思いを巡らす、本当に大きな機会になりました。
そしてこれは良くも悪くも私の性格というか、やはり有機的に物事を捉えて繋げていくことしかできないと思っているのですが*2、こういう出来事に出逢うとその思いを強くします。
 
少し話が前に飛びますが、私が今の会社に「異動」した*3のが、東日本大震災の1ケ月半ほど前のことでした。同年9月に結婚を控えていた私にとって、とても複雑な心境だったのを、今振り返ってもとても鮮明に覚えていますが、実はこの結婚式の日は、今では震災の影に隠れてしまった豪雨災害が紀伊半島を襲った日でもあります。1年半後、熊野三山を中心にした小旅行をしましたが、傷痕なんて言葉では足りないほどの惨状で、山も河もその姿が豪雨の前どうであったか、想像もできない有り様でした。
 
有機的という話に戻りますと…この2011年という、日本にとって深く刻まれてしまった年に聞いた音楽が、この3月に私に起きた出来事にとっても、とても意味深いものに感じたのですね。それが、前回の追伸に記した熊木杏里の『and...Life』でした。この冒頭に収録されている『Hello Goodbye & Hello』という曲こそ、私やその周りでこの出来事を受け止め切れなかった皆さんに必要なのじゃないか、と。
この曲は震災直前に封切りが発表されていた、新海誠監督『星を追う子ども』の主題歌として書かれたものです。映画をほとんど見ない私は当時、この映画をリアルタイムでは見ていないのですが、今回のことがあって何故か思いだされたこの曲を改めて聴き、そしてそれが映画と分かち難いことを今更ながらに知って、先週末初めて見ることとなりました。
震災と無関係に作られた映画とその主題歌が、こんなにも震災後の世界にとって意味深いものであることに驚くばかりで、当時この映画と音楽に救われた方がとても多かったのではないかと思います。長野県出身の新海誠熊木杏里が紡ぐ美しい描写と、それに反して異常なテンポで進む不条理なストーリーを、私は不思議というよりはむしろとても自然な気持で見ました。
自然に見られた理由には、世界で起きている出来事とそれを受け止める人間との間にある埋め難いギャップなのではないか、と感じたことがあります。人智で計ることなど到底できない世界があって、それは天変地異のような大きな出来事であろうが、身近な人の生死であろうが同じなのだと。また悦ぶべき事柄であろうが、哀しむべき事柄であろうが同じなのだと…こんな当たり前のことが、繰り返しの日常の中ではつい忘れられがちです。「時の流れなどない、ただ人間の心が流れているだけだ」と聞いたことがありますが、まさにその通りで、結局きっちりと日々の出来事に“Hello”や”“Goodbye”ができているかどうかなのです。

時計を前に進めるために、今できることを、と思いを新たにしています。日常を急に変えても歯車は噛み合いませんが、気持ちを変えることで世界は違ってくるはずです。前回の覚書に少し加筆し、前述の『星を追う子ども』ともう一つ、新たに手元に置いて繰り返し聴いている音楽があるので、これを記して今日の更新と致します。
私が稀代の雨男だということは有機的に繋がりますでしょうか(笑)

<最近聴いている音楽>
・『Change your mind』雨のパレード

*1:女性の本厄にあたるので、厄除けもいきました。
吉田神社http://www.yoshidajinja.com/

*2:有機的世界観」を卒業論文の題材にしたのも遠い昔のことのようです。
諮問の際には「良くできたブックレポート」と卒論として惨憺たる評価を賜りました(笑)
『科学と近代世界』アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドhttp://shoraisha.com/main/book/9784879840141.html

*3:前職の会社代表からは「出向」と言われましたっけ…いずれにせよ、普通の所謂「転職」とは少し違う形での「異動」であったのだと、捉えて今は働いています。